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【第4回】子供のいじめに気づいた親・先生たちへ ―「わかってもらえない」が一番つらい


目次

「わかってもらえない」 が、いじめで一番苦しい瞬間

「最近のいじめは陰湿になった」

そう言われます。でも本当に苦しいのは、傷つく言葉そのものより、 “誰にもわかってもらえない”と感じ始める瞬間なのかもしれません。

疲れているのは親も子も同じ――ずれが生まれるとき

働く親が見落としやすい、子どものサインとは

疲れているのは、親も子も同じ

最近は働くお母さんが多くなりました。毎日本当によく頑張っておられると思います。 仕事を終えて帰宅し、夕食を作り、子どもの話を聞く——それだけでも、心も体もいっぱいいっぱいになってしまうことがあります。

私自身も、疲れていると小さなサインを見失ってしまうことがあります。

親も世間という場所で戦っている。家庭を守り、自分たちが成長するために精いっぱい生きている。 子どもも同じです。勉強に、友人関係に、先生との関わりに——毎日一生懸命です。

そのお互いの「頑張り」の間に、少しずつずれが生じてくると、子どもの心が苦しくなってきます。

「学校に行きたくない」は限界のサイン

「学校に行きたくない」は怠けではない

親はどうしても最初、こう思いやすいものです。

  • 「もう少し頑張れば」
  • 「気にしすぎじゃない?」

でも子どもは、相談しても変わらないと感じた瞬間、急に黙ります。

東洋医学が教える「心の叫びが体に出る」しくみ(肝気鬱結)

東洋医学の視点から見ると、長期にわたるストレスや抑圧された感情は「肝気鬱結(かんきうっけつ)」という状態を引き起こします。怒りや悲しみが内側に向かい、消化器や睡眠、気力の低下として体に現れてきます。「最近お腹が痛い」「朝起きられない」「ごはんが食べられない」——そういった身体のサインも、心の悲鳴であることがあります。

仏教の「諦聴」――全身で聴くということ

仏教では「諦聴(たいちょう)」という言葉があります。 耳を傾けるのではなく、全身で聴くという意味です。子どもが話しているとき、ただ耳を向けるだけでなく、目を合わせて、うなずいて、心で受け取る——その小さな積み重ねが、子どもに「自分は守られている」という安心感をもたらします。

「強い子」が安心しているとは限らない

加害者になりやすい子の内側にあるもの

繊細な子もいれば、どんな状況でも明るく振る舞う子もいます。 でも、こんな場合は注意が必要かもしれません。

  • 誰かを見下さないと落ち着かない
  • 家で弱音をまったく吐かない
  • 承認される方法が、攻撃や支配になっている

もしかしたら、その子自身が誰かをいじめているかもしれない。

自分の子が友人を傷つけ、その子を死に追いやってしまったら——考えるだけで胸が締め付けられます。

東洋医学から見た「心(しん)の乱れ」と攻撃性

東洋医学では「心(しん)」は、単に感情を感じる場所ではなく、魂の宿る場所と捉えます。子どもの乱暴な言葉や行動の奥には、必ず何らかの「心の乱れ」があります。叱る前に、その奥にある痛みを見てあげてほしいのです。

子育ては、魂の修行です。子どもを育てることで気づかされること、逆に学ばせてもらえることが、本当にたくさんあります。天から授かった、この貴重な時間を、どうか大切に。

子育ては魂の修行――天から授かった時間を大切に

少しの時間、子どもと話してほしい

私自身も、いじめられていた子ども時代、親には話しませんでした。 どうして話さなかったのか、今となっては詳しくは思い出せません。でも、話せなかったのだと思います。

今の時代の親御さんは、昔と比べて子どもにずっと近い気がします。お父さんが子どもと遊んでいる姿をよく見かけます。

だからこそ、ほんの少しの時間、子どもと向き合う時間を作ってあげてほしい。

子どもは必ず、最初にサインを送ってくれます。それに気づいてあげてください。

もし万が一、いじめで心を痛めている子がいたとしたら——親が気にかけてくれているとわかるだけで、その子の心は温かくなります。

丹田(たんでん)を意識して、ゆっくり深呼吸してみてください。 下腹部のおよそ3センチ下あたりにある、気のエネルギーの中心点です。大地に根を張るような呼吸が、緊張をほぐし、穏やかに子どもの話を聴く心の準備をしてくれます。

先生たちへ――守る側に立ち続けてほしい

大人がいじめる側の庇護者になってはならない理由

私はニュースを見るたびに、ずっと疑問を持ち続けてきました。 クラスの子が自ら命を絶ったのに、加害者の側に寄り添っているように見えるケースがあること。

私の担任の先生は違いました。今でも、大人になった今も感謝しています。

大人は、いじめている側の言い訳の場所になってはなりません。 それは、いじめている子のためにもなりません。

「子どもだから」「まだ若いから」は、理由になりません。

仏教の「因果応報」が教えること

仏教の教えに「因果応報(いんがおうほう)」という言葉があります。 行いは、必ず何らかの形で返ってきます。良い行いも、悪い行いも。 世の中は、思うほど甘くはありません。

一人の先生が、子どもの人生を変える

それよりも、傷ついている子の声を聴いてほしい。 目の前にいる、助けを求めている子を、守ってほしい。

先生という仕事は、魂の仕事です。 子どもたちの人生に、あなたの在り方が深く刻まれます。 どうか、守る側に立ち続けてください。

まとめ――気づくことが、守ることになる


最後に。もしお子さんのことで何か気になることがあれば、一人で抱え込まないでください。学校のスクールカウンセラー、地域の相談窓口、そして信頼できる大人に、どうか声をかけてみてください。

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