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【第5回】いじめは「誰か一人の問題」ではない――縁起から見た、苦しみの構造と希望

目次

いじめを生む「縁」――不安、孤独、沈黙、同調圧力

いじめシリーズ、最終回です。

ここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。
「誰かに届けばいい」という気持ちで書き続けてきました。
最後は、いじめという現象を「縁起(えんぎ)」の視点から見つめ直します。

一人の問題ではなく、複雑に絡み合う条件

■ いじめは、たくさんの”因”と”縁”が重なって生まれる.

いじめは、ある一人の「悪い心」だけから起きるのではありません。

不安や劣等感を抱えている子。 家庭に強いストレスがある環境。 「周囲に合わせないと怖い」という集団心理。 見て見ぬふりをする空気。 「違うもの」を排除したくなる恐れ。 SNSや競争社会の緊張感。 大人側に余裕がない現実。 評価主義の学校・社会のしくみ。

こういうものが複雑に絡み合ったとき、 「いじめ」という現象が姿を現します。

道元の言葉「光明といふは人々なり」

■ 道元の言葉――「光明といふは人々なり」

道元禅師はこう言いました。「光明といふは人々なり」

すべての人が、仏の光明を持っている。 だから縁のある人が苦しんでいたなら、飛んでいって、その苦しみから解放されるように助けてあげる。

苦しみを分かち合う命の繋がり

それは、苦しんでいる人の命と自分の命は、根っこでつながっているから。 その人が苦しめば、自分も苦しみ。 その人が楽になれば、自分も楽になる。

縁起で見ると、いじめは「誰か一人の問題」ではなく、 その場の空気、人間関係、社会全体の苦しみまで含めて成立している、とも言えます。

縁起は「誰も悪くない」ではない

■ 「みんなが関係している」は「誰も悪くない」ではない

ここで誤解してほしくないのは、「みんなが関係している」=「誰も悪くない」ではない、ということです。

仏教で縁起を知ることは、責任を曖昧にするためではありません。
「苦しみを生む条件を見つけ、減らしていく」ために使うものです。

責任を曖昧にせず、条件を変えていく視点

だからこそ、
・傷つける言葉を止める
・傍観をやめる
・苦しんでいる子に寄り添う
・安心できる場所をつくる
・比較ばかりの価値観を手放す

そういう”小さな縁”を変えることで、いじめという現象も変わり得る。
これが、仏教的な視点の核心だと私は思っています。

小さな縁が流れを変える

■ いじめられている子が「悪い因を持っている」わけではない

もう一つ、大切なことを。
縁起の教えは、「いじめられている子に悪い因がある」という単純な因果論にはなりません。

そこを間違えてしまうと、苦しんでいる人をさらに追い込んでしまいます。

傍観をやめる・寄り添う・安心の場をつくる

縁起は本来、

「人は一人で苦しんでいるのではない」
「環境や周囲との関係の中で、苦しみが生まれる」という、慈悲につながる教えです。

対人関係で大切にしたい五つのこと

■ 対人関係で大切にしたい、五つのこと

最後に、私が大切にしている五つをお伝えします。

1 自分を大切に生きる
2 他人を大切に生きる(嘘をつかない・ごまかさない・欺かない)
3 何があっても他人を裁かない
4 おせっかいをしない
5 自分や他人を縛らない、縛られない

今の時代を、きちんと生きていくために

■ 今の時代を、きちんと生きていくために

今の世の中、時間の流れが恐ろしく早い。
以前の価値観がどんどん崩れていく感覚があります。

なんとなく生きにくいこの時代だからこそ、
きちんと自分の軸を持って生きていきたい。

人をいじめている暇などありません。
その労力とエネルギーがあるなら、
あなたにできることが、きっとたくさんある。

このシリーズを読んでくれた方へ。
ありがとう。あなたの優しさが、新しい縁になります。

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