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第2回 仏教で学ぶ「揺れる心」と安らぎの考え方

こうして自分の心を書き出していると、改めて気づくことがあります。

調子のいい時、
何事もうまくいっているように感じる時があります。

周りの流れもよく、
自分の選択も正しかったように思えて、
すべてが順調に進んでいる気がする。

そんな時、私は少し舞い上がってしまいます。

「このままうまくいく」
「大丈夫、もう安心だ」

そう思って、調子に乗ってしまう自分がいます。

でも、そんな時に限って、
ズドーンと落とされるような出来事が起きる。

思いがけない問題や、
うまくいかない現実や、
後悔する出来事。

そして一気に気持ちが沈んでしまう。

順調だと思っていた分だけ、
落ちた時の衝撃も大きく、
心は大きく揺れてしまいます。

良い時には浮かれやすく、
悪い時には打たれ強くいられない。

そんな自分に、また落ち込んでしまうこともあります。

本当は、どんな時でも、
心が大きくぶれない自分でいたい。

都合のいいことが起きても舞い上がりすぎず、
逆境に立たされても必要以上に落ち込まない。

穏やかに、静かに、
同じ場所に立っていられるような心。

それが理想です。

でも最近、もう一つの自分の状態に気づくことがあります。

それは、調子に乗っているわけでもなく、
無理に前向きになっているわけでもないのに、
心が静かに安らいでいる時です。

掃除をしている時。
仕事をしている時。
お経を覚えている時。

特別な出来事があるわけでもないのに、
心の中のノイズが少なく、
自然と前向きな気持ちでいられる瞬間があります。

やる気が出ているような、
でも力んでいるわけでもない。

ポジティブだけれど、
浮かれているわけでもない。

そんな穏やかな状態。

ただ、その違いが、まだ自分にははっきり分かりません。

調子に乗っているのか。
ただ安らいでいるのか。

その区別がつきにくいのです。

でも、振り返ってみると、
心が静かに安らいでいる時は、
良いことが起きているかどうかとは関係がありません。

順調だからではなく、
ただ、今この瞬間に落ち着いている。

心の中に余計な不安や比較がなく、
静かに過ごしている自分がいる。

その状態は、派手ではないけれど、
とても満たされている気がします。

もしかしたら、
調子がいい時の高揚感よりも、
この静かな安らぎこそが、
一番幸せな状態なのかもしれません。

大きく喜びすぎず、
深く落ち込みすぎず、
ただ穏やかに過ごせる時間。

それは簡単なようで、
実はとても難しいことです。

だからこそ、
これから目指したいのは、
良い時も悪い時も、
心のノイズに振り回されず、

静かに安らいでいられる自分。

それが続かなくてもいい。
時々でもいい。

でも、その瞬間を大切に感じながら、
少しずつ、ぶれない心を育てていきたいと思います。

もしかしたら、
特別な成功や喜びよりも、
心が安らいでいる時間こそが、

私にとって一番の幸せなのかもしれません。🌿

いつもありがとうございます。

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