ニュースを見ると、痛ましい事件が後を絶ちません。私はあまりテレビを見ないようにしているのですが、それでも時折目にするニュースには、飲酒運転によるひき逃げや誘拐など、悲しい出来事ばかりが映し出されています。
そこで今回は、師匠からいただいた教えを交えながら、「いのちの尊さ」について書いていきたいと思います。
三世(さんぜ)という考え方
仏教には、「三世(さんぜ)」という言葉があります。
過去世(かこせ) = 自分をこの世に産み育ててくれた両親や、ご先祖様
現在世(げんざいせ) = 今、ここに生きている自分
未来世(みらいせ) = これから自分が生きていく世の中
なぜ「三世」という言葉が生まれたのでしょうか。それは、過去・現在・未来のすべてが、他でもない「自分自身」だからです。
鎌倉時代の禅僧・道元禅師(どうげんぜんじ)はこう説いています。
「私がすべてです。あなたが生きていることがすべてです。」― 道元禅師
背が高くても低くても、障がいがあってもなくても、すべての人間には生きていく権利、そして幸せになる権利があります。その権利は、誰にも、何があっても奪うことはできません。
人のいのちを奪うということ
人を傷つけたり、命を奪ったりすることは、決して許されない暴挙です。
スピリチュアルな視点では、「この世に偶然はない」とも言われます。人は生まれる前に、自らの人生をある程度決めてきた、という考え方です。亡くなった方も、また手を下した人も、それぞれの役割を「演じている」のだ、と。
しかし私は、そこで立ち止まって考えてしまいます。同じ「命を奪う」という行為であっても——
- 自分の欲や憎しみのために、意図して人を傷つけること
- 不慮の事故など、本意ではなかった結果として命を奪ってしまうこと
- 戦争のように、望まない状況の中でやむを得ずそうせざるを得なかったこと
——これらは、まったく意味合いが違うと私は思います。
自らの恐ろしい欲望のために人の命を奪うことほど、この世で怖いことはない。私はそう感じています。
💬 皆さんはどう思われますか?
同じ時代を、同じ地球で生きる私たちへ
今、私たちは同じ時代に、同じ地球の上でともに生きています。
仏教では、これを「縁起(えんぎ)」の考え方で表します。すべてのいのちはつながり合い、支え合っているのです。
まず、自分自身を大切にすること。
それができて初めて、他の人のことも大切にできる——。
師匠から受け継いだこの教えを、どうか胸に留めていただけると幸いです。
