人をいじめてしまうあなたへ
——山は動かず、水は流れる
東洋医学と仏教・道元禅師の言葉から見た、心の痛みのはなし
人をいじめてしまうあなたへ。
あなたはどうして、自分を大事にしないのでしょう。
あなたはもしかしたら、将来何かを成し遂げる人かもしれない。人のことばかりを注視して、本当に自分の夢を叶えることができるでしょうか。あなたは宇宙にとって、地球にとって、かけがえのない存在です。
東洋医学の視点
東洋医学では、怒りや攻撃のエネルギーは「肝(かん)」に宿ると言われています。誰かを傷つけたくなるとき、実はそれはあなた自身の内側が疲れているサインかもしれません。攻撃的な行動は、内側に抑圧されたストレスのあらわれ。いじめる側もまた、消耗しているのです。
仏教の教え ——ダンマパダより
「怨みは怨みによって止まず、怨みを捨ててこそ止む」
——ダンマパダ(法句経)
仏教では「縁起(えんぎ)」といって、すべての存在はつながり合っていると教えます。あなたが誰かを傷つけるとき、その波紋はあなた自身にも必ず返ってきます。逆に、誰かに優しくするとき、その光もまた、あなた自身を照らします。
道元禅師の言葉——「山水経」より
道元禅師はこう説かれました。「山は流れ、水は流れず」と。
一見、逆に思えるこの言葉。山は動かないようでいて、長い時間の中で少しずつ変化し続けている。水は流れているようでいて、その本質は変わらない——そういう意味ではないかと私は思います。
禅師の真意は、山も水も人間の「考え方」に縛られず、あるがままに存在しているということ。
人間はどうでしょう。自分と同じ考えや感じ方を持つ人を「仲間」とし、違う人を「敵」のように扱い、排除しようとする。自分の考えに執着して自己中心的になり、人を憎んだり、人から憎まれたりする。
山は、隣の山がどんな形であろうと戦いません。水は、流れ方が違っても争いません。ただ、あるがままに在る。
私たちも、自分の中にある絶対の生命の尊さを、もっと大切にしなければならないのではないでしょうか。
私自身の体験から
私自身も、いじめに遭ったことがあります。子供の頃も、大人になってからも。そして驚くことに、その相手は私より30歳近く年下の子でした。私だけではありません。年上の女性に対しても、その子は執拗に攻撃を繰り返していました。
その子は、本当に才能があって、頭の良い子でした。でも結局——どれだけ能力があっても、中心に立つことができませんでした。自分こそが中心にいるべき人物だと思いながら、気づけば誰にも慕われない場所に追いやられていた。
なんて、もったいないことをしてしまったのでしょう。みんなに慕われていれば、どれほどの可能性を花開かせることができたか。残念でなりません。
山は自分の形を他の山に押しつけない。水は自分の流れ方を他の水に強いない。それでいて、それぞれがかけがえのない存在として、この宇宙に在り続けている。
あなたの才能は、誰かを傷つけるためにあるのではありません。
人をいじめる時間があったら、どうか自分を見つめ直す時間を作ってください。
宇宙は、あなたのことを見ています。
